2010年3月 1日
古代ローマの公衆浴場の文化的重要性
ローマ人にとって公衆浴場は社会生活の重要な一部だった。公けの施設として建設され、貧富の差や自由民か奴隷かを問わず、誰でも利用できた。飲食、運動、読書、商売、哲学的議論などができる場所だった。現代の同等なものを想定するとすれば、それは図書館、美術館、ショッピングモール、バー、レストラン、ジム、温泉が複合された施設である。
外国人になぜ毎日公衆浴場に行くのか訊かれ、ローマ皇帝は「1日に2回行くだけの時間をとれないからだ」と応えた。
皇帝は市民を喜ばせ、自らの名声を後世に残すために公衆浴場を築いた。裕福なローマ人は市民の名声を得たいとき、公衆浴場を1日貸切にして一般に無料公開した。例えば、護民官になりたい元老院議員は自身の誕生日に特定の公衆浴場を貸切にして無料開放し、その地区の人々に名を売った。
古代ローマの多くの都市に少なくとも1つの公衆浴場があり、社会生活の中心の1つになっていた。古代ローマ人にとって入浴は非常に重要だった。彼らは1日のうち数時間をそこで過ごし、時には一日中いることもあった。裕福なローマ人が1人か複数人の奴隷を伴ってやってきた。料金を支払った後、裸になり、熱い床から足を守るためにサンダルだけを履いた。奴隷は主人のタオルを運び、飲み物を取ってくるなどした。入浴前には運動をする。例えば、ランニング、軽いウェイトリフティング、レスリング、水泳などである。運動後、奴隷が主人の身体にオイルを塗り、(木製または骨製の)肌かき器で汚れと共にオイルを落とした。
ヴィッラやドムスや砦にも私的な浴室があり、それらも「テルマエ」と呼ばれた。これらは付近を流れる川や用水路から水を供給していた。浴室の設計については、ウィトルウィウスが『建築について』で論じている。
thermae、balneae、balineae、balneum、balineum はいずれも「浴室」や「浴場」と訳されるが、初期の古代ローマ人はこれらを明確に区別して使っていた。
balneum または balineum はギリシア語の βαλανείον (balaneíon) に由来し、第一義的には個人の住居に備え付けられた風呂や浴槽を表し (Cic. Ad Alt. ii. 3)、それがある部屋は balnearium と呼ばれた。セネカは、Liternumのヴィッラにあったスキピオの浴室を表すのに指小語 balneolum を使い、彼の時代の贅沢さに比べて共和政時代の浴室が簡素であったことを表した。セネカが記したような一部屋の浴室から、さらに贅沢さが増して複数の部屋になってくると、複数形の balnea または balinea で呼ばれるようになった。キケロは弟のクィントゥスのヴィッラにあった浴室を balnearia と呼んだ。ウァロによれば、balneae や balineae には単数形がなく、公衆浴場を意味した。しかし、このような語法の正確さはその後の作家、特に詩人には守られず、六歩格詩では公衆浴場の意味で balnea が使われることが珍しくなく、balneae が使われることはなかった。プリニウスは同じ文の中で、公衆浴場の意味で中性複数形の balnea を使い、個人宅の浴室の意味で balneum を使っている。
『ウィキペディア(Wikipedia)』引用
バルネア (balnea)またはテルマエ (thermae)と呼ばれていたようです。
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